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ビルディングタイプの更新は可能か

 最低限を実現したワンルームマンション

ワンルームマンションとは、「専有面積が20㎡程度で、洋室とユニットバス、小さなキッチンがコンパクトに設置してあるマンション」[*1]のことを指す。おもに学生や単身赴任者などを対象につくられていて、比較的住む期間が短いことを想定している。資産運用のツールとしても一般的で、「どんな住まいにしたい」というより長期間家賃収入が落ちないことを要望されることが多い。

最初のワンルームマンションは1976年に新宿区西早稲田で誕生した。文化人類学者・西川祐子によると、「初期のワンルームは、間口2.4‌m、ビニールクロスにミニキッチン、1,014mm幅のユニットバスで住戸面積16㎡という極限的なユニットであった。それ以前の木造賃貸の住宅に比べて、最低限の設備が揃っていることと遮音性能で優れている。」だそうだ[*2]。面積の割に家賃が高かったにも関わらず、高度経済成長で都市に人口が集中し、大量の都市生活者を受け入れるという社会のニーズとマッチしたため、瞬く間に日本中に広がっていった。

単身者の住環境として最低限を実現したワンルームマンションにおいて、シンプルな形式が固定化するのは容易だった。建築家・篠原聡子によると、「商品管理の名のもとに廊下の幅から、洗面カウンターの幅から、玄関収納の形式まで微に入り細にわたって仕様が決まっている。しかも立地によって価格帯が決まれば仕様のランクも決定され、交換可能な商品として流通したのである」。一方で、「唯一の選択肢としてはあまりに貧しく、そのあり方に所有者、居住者双方から疑念が持たれ始めたのも当然のことだったといえるだろう」[*3]。上記の篠原による分析から、ワンルームマンションは、多くの人々の思考を鈍らせるほどに定型化が進んでいると言える。

*1|『住宅用語大辞典』http://suumo.jp/edit/guide/yougo/

*2|西川祐子『住まいと家族をめぐる物語-男の家、女の家、性別のない部屋』集英社 2004

*3|篠原聡子「デザイナーズマンションという戦略—小泉的なるものの成功と限界」『新建築2006, 8』

 

 ワンルームマンションの形式

では、具体的にワンルームマンションとはどんな建物なのだろうか。

ワンルームマンションは方角と面積に支配されることが多い。ほとんどのワンルームマンションは共用廊下から外部に向けて縦長のボリュームで構成され、いちばん奥にバルコニーが配置される。バルコニーは唯一の居室である「ワンルーム」に連続していて、全面フルハイトのサッシで仕切られている。このワンルームの居住性は、広さ以外で言うとほぼこのサッシ面に依拠していて、どちらの方角に向いているかがその部屋の価値をほぼ決定する。またバルコニーは、唯一の物干し場でもある。よって日の光がさんさんと降り注ぐことが望ましく、たとえ南向きであったとしても、日影がかぶって長時間日が当たらなければ価値が下がってしまう。

部屋の間口が限られているため、部屋の広さに邪魔な水廻りや収納はすべて廊下側にぎゅっと寄せられる。そうして生まれた廊下と洋室は、玄関からバルコニーに向けて、卓球のラケットのような形状となる。

これはほとんど全てのワンルームマンションが持つありきたりな形式である。面積が小さくても、冷蔵庫がワンルームにはみ出したり、浴室とトイレと脱衣室がくっついたり、洗濯機がバルコニーに出たりしてもこの形式が続けられた。しかもワンルームマンションが誕生してから40年以上も経つのに、ほとんどこの形式が変わっていないというから驚きだ[写真1]。

 

 建築家にとって魅力的なワンルームマンションというフィールド

ワンルームマンションのフィールドで建築家の活躍が目立ってきたのはごく最近のことである。2000年くらいから続く、いわゆるデザイナーズマンションのブームで、建築家もおおいに腕をふるった。その多くは小規模のマンションで、建築家は特に微妙な立地や厳しい敷地条件、さらにコストの制限など、いわゆる悪条件と格闘し、『至高の一品』を生みだしてきた。なぜなら一般的な不動産価値における悪条件は、新しいことが生まれるチャンスに読み替えられてきたからだ。さらに40年間変わらなかったワンルームマンションのフィールドそのものも建築家は悪条件として捉え、これまでずっと続いてきた慣習をいったん横に置いた、その場所での固有の条件に丁寧に答えた作品をつくってきた。それぞれの敷地でいくつかの間取りを発見し、多様な間取りの集合体としてのワンルームマンションをつくる場合も少なくなかった。デザイナーズマンションと十把一絡げにされようとも、「新しい」ことができるワンルームマンションは、建築家が作品をつくるフィールドとして魅力的であったに違いない。そして現在もそれは変わっていないと言えるだろう。

 

 建築家にとっての2つの新しさ

建築家が「新しさ」に敏感であることに疑いの余地はない。それゆえ、建築家がつくるワンルームマンションが、ある「新しさのようなもの」を身に纏うのはひとつの宿命である。ではそれらの「新しさのようなもの」の全てが「ただ一つの珍しい作品=ユニーク」であるかと言われれば決してそうではないと思う。目に見えやすく、突如としてパッと眼前に現れるような新しさではなく、私たちの視野が少しだけ広がるような、それが後になってジワジワとにじみ出るような「新しさ」があるように思う。本来建築家は、それらすべてをひっくるめて「新しさ」に敏感なのである。

ところで「新しさ」には二つの意味があると思う。一つはこれまでとは異なる、変わるという意味での「新しさ」である。発明的でこれまでにないものであり、それは「カウンター」としての意味合いを持つ。もう一つは時間軸を形成する「新しさ」である。古いか新しいかの「新しい」であり、それは言わば「アップデート」としての意味合いを持つ。ジワジワとにじみ出るような「新しさ」はきっと、「カウンター」だけでなく「アップデート」の意味合いを持っている。それはまるで長い間かたちが変わっていない小さな生物が、長い時間をかけてまだ見ぬ生物に変化するような、ささやかな進化のようなものだと思う。[*4]

ワンルームマンションというプログラムは先に述べたように本当に長い時間変わっていない。私たちにはそれが、アップデートとしての小さな進化を、手ぐすね引いて待っている状態のように思われた。つまり、ユニークというだけではない、「ジワジワとにじみ出るような新しさ」が生まれる準備が出来た状態のように思えたのである。

*4|山口陽登『14th archiforum in OSAKA 2012-2013『新しい建築のことば』第7回「シンポジウム」レビュー』

http://www.archiforum.jp/2012/review/07.symposium.html

 

 社会と接続できる建築家とは

ここまでワンルームマンションと建築家のあいだをめぐる考察を続けてきた。建築家はどのように社会と接続できるかという問いは、もう随分長い間語られ続けている。その間、多くの建築家のスタンスが生まれてきた。非作家性や「ふつう」を前提とする建築家のスタンス、コミュニティの一員として活動しながら建築が生まれるための「座組み」をするようなスタンス、あるいは、個別のプロジェクトで発見された種から大きな実を生み出すようなスタンス。しかし、その多くがこれまでの建築家に求められてきた役割から少し離れて新しく安住できる地を探すような旅だったのではないだろうか。

私たちはもう少しこれまで住み慣れた島にとどまりながら、社会と接続できる方法を模索したいと考えている。そうすることで、目に新しい接続方法ではない、ジワジワと滲み出すような社会との接続方法を発見できるのではないかと考えている。

その具体的なプロジェクトがこの「大正の小さな集合住宅」である。以下、プロジェクトを通してもう少し掘り下げた話をしていこうと思う。

 

南面採光

敷地は、大阪のJR環状線の駅から徒歩3分ほどのところにある。東西を建物に挟まれ、南北を道に挟まれた、間口5‌mほどの南北に細長い土地である。周囲は駅前らしくドラッグストアやカラオケ、飲食店が多くあり、雑多な密集地といった印象だ。北側道路の向かいにはJRの高架があり、1階部分には居酒屋などが並んでいる。南側道路は北側とはうってかわってマンションが並び静かな印象を受ける。

2面接道していてしかも南側に道路がある。資料で敷地の情報を見ているときは「南側にひらいた」至極一般的な解法が可能に思えた。しかし実際に行ってみると、南側は向かいのマンションが予想以上に近く面していたり、建物の影が大きくかかっていたりしていて歓迎すべき方向ではない。逆に北側と東側は、2階くらいまでは密集しているが、3階からは上方に視線が抜け始め、4階以上になるとかなりの距離を見通せるようになる。資料で得る情報と実際に行って得られる情報の差がかなりある敷地だ。

よくあるワンルームマンションのように、南側を広く開いた一般的なプランは可能だろう。しかし、「南面採光」など定型化されたマンションの謳い文句は、ここでは実際に行ったときのガッカリ感を助長させてしまうと感じた。

 

ビルディングタイプと現実の齟齬

私たちに求められたことは、「空き部屋をなるべくなくしたい」ということである。ワンルームマンションが所有物というより資産的な側面に価値をおいたビルディングタイプであるから、これは当然と言ってよい。しかし前述のとおりワンルームマンションはどれもほとんど同じで差異化することがむずかしいため、立地と新品さにしかほどんど価値が見出せない。よって近くに新しいワンルームマンションが建つと当然のように空き部屋が増えるのだ。私たちのところに来られたクライアントは、このような40年間変わっていないビルディングタイプが、現実と齟齬を起こしていることに一般的な感覚で疑問をもたれたのではないだろうか。

私たちが選択したのは、やはりひとつのマンションのなかに間取りのバリエーションをもたせることである。すべてが同じ間取りというのは、人生のうちで過渡期的な過ごし方をする最小限の箱を大量に生産するときにはたしかに非常に有効な形式であった。場所性にほとんど左右されず、方角と面積だけでほとんど自動的にプランが生成できるからである。しかし、人口が減少し必ずしも過渡期的でない使い方がされるようになった現在では、そのような形式だけでは対応できなくなってきている。

定数と変数

個別の場所性を引き受け、新しさを提出することで社会にアプローチするという態度に対し、私たちは少し踏みとどまりたいと思う。

たしかに、形式が40年間変化しないことの弊害はいろいろある。しかし、なぜ変わってないかといえば、単純に変えない方がいいものがあるからではないだろうか。ワンルームマンションの歴史(と呼ぶにはまだ浅い年月)のなかであたりまえに踏襲されてきた「変わらないもの」に目を向けることは、アップデートとしての小さな進化を目指すための作法であると考えたからだ。

ワンルームマンションの形式のなかには、あたりまえに踏襲されてきた変わらないものがある。それは私たちのような建築の専門家にとっては、一般の慣習を呼び込んでしまうものなので実に不自由に感じやすく、これを変えることで容易に新しさにアプローチできる。たとえば、配管経路や水廻りが縦に揃っていることは、経済合理性が高く、建物のつくり方を簡単にする。また、水もれなどのトラブルに対しても、下階が同じように水廻りならば、リスクが少なくて済む。多様な間取りを考える上で不自由ではあるが、これはこれまで培ってきた、まだ歴史の浅い「文化」と呼べるのではないだろうかと考えた。私たちはこれを、設計のなかの「定数」として扱いたい。

逆に、「南面採光」というのは、狭義の機能主義であり、現実に対して目を向けずとも建物を計画したり価値付けしたりすることができるツールである。今回のように必ずしも南が良い方角だとは言えないところでは、先入観から「残念な南側」みたいな見え方をしてしまい建物との出会いを不幸にしてしまうこともある。よって同じように培われてきた要素であったとしても、これは変えるべきものとして「変数」として扱いたい。

以下、設計手法を具体的に説明していく。

 

  新しい基準階

この敷地の南と北は、接道しているため両側とも外部環境と親和性が高い。その面で特に北よりも南にプライオリティがあるわけではない。部屋の大きさを考えると1フロアに2戸とれるので、南と北にひとつずつ広い洋室をとることにする。必然的に大きな階段のボリュームは建物の真ん中に寄ってセンターコアの形式がフィットしてきた。

ここで洋室が平面の反対方向に位置していることに倣い、ほかのすべての諸室を対角に配置させていくと、それぞれ反対の方角に面する1対の諸室が平面にそろい、全体としては数珠状につながったプランができる。これを「新しい基準階」としよう。

「基準階」という考え方はいままでのワンルームマンションと変わらない。諸室がそれぞれ縦に揃っていて設備配管が同じ位置にある。配管はすべて階段室に集まっていてメンテナンスがしやすい。

そしてこの基準階を2戸にわけていく。数珠状につながったプランを2つの壁で仕切っていくのだが、2つの住戸に「同じ諸室がひとつずつある」ことを条件としてもプランの切り方は実にたくさんある。たとえば、諸室がA→B→C→D→E→A→B→C→D→E→…とつながっているとすれば、壁の位置によってABC…で始まる住戸でも、CDE…ではじまる住戸でも、EAB…ではじまる住戸でも可能で、しかも1対の住戸は反対の方角に面していることを考えれば、すべてが異なった間取りのワンルームマンションができあがる。

 

 構造形式

この新しい基準階は、構造形式もほぼ自動的に決めてくれるものとなった。

センターコアの形式は水平方向の応力をコアに集中させることができる。基礎杭をコアの下に集め、外周部すべてをコアから持ち出すような構造形式とした。これによりぎりぎりまで迫った隣地との境界において山留めの量を減らすことができた。

外周部の柱は鉛直のみをささえる構造になり、75‌mm角まで細くすることができた。外周部から構造壁がなくなったことで、外部環境との関係においてプランが限定されることなく四周をフラットに扱えるようになった。

 

ビルディングタイプの更新

このようにして、結果的にすべてが違う間取りの集合住宅を計画したのであるが、私たちが求めたのは「カウンターとしての」新しさではない。いままで培われてきた当たり前の前提そのものを変えるなら、新しいものはきっと出てくるだろう。しかし、これまで培われてきたものを定数として扱うか、または変数として扱うかは、ビルディングタイプの歴史を紐解かないないかぎり、カウンターとしての新しさしか獲得できないのではないかと思う。

私たちはこのプロジェクトを通して、これまでの歴史を踏まえることでビルディングタイプに小さな変化をもたらし、つまりはビルディングタイプを更新していくことが可能になるのではないだろうかと考えている。

 

『TOKYO STYLE』と現在

1993年『TOKYO STYLE』という写真集が出版された[写真2]。団地やアパートなどの狭い部屋のなかが生活像そのまま無数に撮影された写真集だ。バブルが終わったか終わってないのかのころで、日本全体がじわっとした落胆に包まれていた。「僕らの生活はもっと普通だ。木造アパートや小さなマンションにごちゃごちゃとモノを詰め込んで、絨毯の上にコタツを置いたりタタミの上に洋風家具をあわせたりしながら、けっこう快適に暮らしている。」[*5]私たちがこの写真集に出会ったのは建築を勉強しはじめた2000年頃であったが、作り込まれていないおしゃれさと心地よい諦観がない交ぜになって、大きな衝撃を受けた。大学の課題で必死に新しさを追い求めていたころで、それは建築の新しさによって、なにかを変えることができると思っていたからだ。だが「そんなのなくてもべつに幸せさ」と鼻で笑われ一蹴された気分だった。

あれから20年が経ったが、いまもなおこの写真集には古さを感じない。私たちの生活のリアリティと連続性をいまだに感じることができる。そういう意味では驚くべきことにわれわれの生活は20年前からそれほど変わってない。あのとき感じた心地よい諦観は、それほど間違ったものではなかったのかもしれない。建築は生活を更新できなかった。新しい生活像を建築が先導することはなかったのだ。

しかし一方で、集合住宅を取り巻く状況は確実に変化した。2005年以降、日本の人口はおよそ1000年ぶりに減少している。都市人口は変わらなくても、世帯数は増え世帯構成人数の平均は年々減っている。都市人口を構成する年齢層も上がってきて、単身世帯の占める高齢者の割合がどんどん多くなってきている。生活はかわらなくても、建物の使われ方は確実に変わってきている。若い人がどんどん都市に流入し、過渡期的な使い方がなされていたワンルームマンションは、いまや様々な年齢層の単身世帯が長期的に(あるいは死ぬまで)生活する箱として使われる機会が増えてきているのだ。そのなかで、立地と新品さにしか価値が見いだせないというのは、もうビルディングタイプとして機能不全を起こしているといっても過言ではないのではないだろうか。生活は変化させなくても、ビルディングタイプを更新する必要がここにある。そしてそれは、建築の歴史に精通し、現実と格闘を続ける建築家こそが成せることなのではないだろうか。

*5|都築響一『TOKYO STYLE』筑摩書房 2003  序文より抜粋

(山口陽登+白須寛規)