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2010年 第8回アーキフォーラムレビュー
未来からの物体
机のうえには、上下前後、規則正しく交互に穴のあいた木のブロックパネルと、こちらはもっと複雑に様々な大きさの穴のあいた3Dプリンターから出てきたらしい白い物体があった。触っちゃいけないような噂をツイッターで目にしてなんとなく緊張する。未来から漂流してきた物体を見物してる気分だ。これからどんな話が展開されるのか、自分の中のどの回路につなげばいいのか頭の中で右往左往しつつ、膝の上の録音機材とノートとペンを確かめながら竹中さんの登場を待った。
建築に対する悩み
コーディネーターとともに現れた竹中さんは、ガタイがよくてどことなくジェントルマンな空気をもつ人だった。 勝手な印象を述べさせてもらえば、食パンマンのような人だなと思った。少し緊張した面持ちなのはこちらの緊張が伝わってしまったのか。そういえば会場全体がそんな雰囲気だったような気もする。そんな空気を察してか、「今日は建築に対する悩みをどうやって解いてきたかをお話させていただければ…」というところからはじまった。よかった。ついていけそうだ。
まずは学生を出てすぐに携わった住宅の設計。「右も左もわからないまま」取り組んだ設計のプロセスはまさに王道、というか学生が課題に取り組む手つきの延長のようなプロセスだった。敷地を見てパッと浮かんだというインスピレーション、模型によるスタディ、LDKでないプラン、…。なんというか、ふつうだ。コンピュータはCADくらいしか出てこない。実施の段階では「思いつくことはとにかくいろいろやってみた」と言うだけあっていろんな創意工夫が詰め込まれた作品のようであったが、できてみて「模型と同じだなと思いました」という淡々とした感想で締めくくられる。ちょっとした違和感が残った。話してる竹中さんとの微妙な視点のズレを感じながらも、話は次のプロジェクトへ。
次は長野で研究室のメンバーと共同で行ったという設計で、こちらでも、金物をひとつも使わずに伝統工法で組み上げるという意欲的な挑戦がなされた。このときひとつの転機が訪れる。みんなでやるのが楽しいと思ってやったグループ設計が大モメにモメた。グループで設計をしたことがある人なら経験していることかもしれないが、デザインを決定することに誰もが譲らない状態になると、それを打開する手段はかなり力技的になってしまい、結果モメる。これを機に竹中さんは「みんなで力をあわせてつくるにはどうすればいいのか」に興味が移っていったという。ここでさきほどの違和感に少し納得がいった。さきほどの竹中さんの「模型と同じだな」というのは完成したかたちの精度の話ではなく、ツールとしての「模型」にピントがあっていたのだなと思った。グループ設計の結論でも「どうすれば」というところにピントがあっている。かたちよりツールにこだわりがあるのか。
コラボレーションの方法
話は教職で携わってられたときの大学での活動へと移っていく。自身「建築から離脱して」という表現を使われていたがそこには敗北感は感じられない。むしろ話はより加速し熱を持ち始める。network based architecture design を研究のテーマに、ネットワークをつかったコラボレーションの方法の開発に力が注がれる。コラボレーションを促進させるために円卓を用いた教室のデザイン、教室の壁面をミラーリングすることで世界各地の教室とつながっていけるようなインスタレーション、ネット上で画像で連歌するようにプロジェクトを進めていくシステム。驚いたのは「○○で困った」という状況に対して「なので△△というシステムをつくりました」という結論に至っているということ。その途中には様々な紆余曲折があるのだろうけれど、こうもぽんぽんとツールが現れると率直に言って、ドラえもんのような人だなという感想を禁じ得ない。未来の提案を聞いているような、ときどき挟まれる聞き慣れないカタカナも相まってふわふわした気分になってきた…。
「ここで少しブレイクなんですけども…。」はっとして我に返る。画面にはモノクロの桜の写真がデカデカと映し出されている。ピンホールカメラマンさんとコラボレーションしてつくった映像らしい。桜の画像が周りから速度を持つように徐々に溶けていって、それがまた逆回しのようにゆっくりと像を結んでいく。ピンホールカメラの写像の過程を抽象的に表現した作品だった。ピンホールカメラはファインダーもレンズも持たないただの箱で、正面の小さな穴から入ってくる光によって中にある感光紙にゆっくりと時間をかけて像を写していく。これが頭のなかのイマジネーションから像を結ぶ過程に近いなと思いコラボレーションをするに至った、という。いろんなことをする人だ。
ここで少し整理すると、長野のグループ設計の後というのはコラボレーションの仕組みをあれこれと模索した過程であった。コンピュータやネットワークを使ってイメージをぶつけ合いながらモノをつくっていく経験が積み上げられた。一方で、「これをどうやったら建築でやれるのか」を常に考えていたという。長野のグループ設計のあと竹中さんはやはり「建築から離脱」などしていなかった。必要なツールと経験を携えて再び設計のフィールドへと入っていく。しかし今度は違う角度から、未知なる領域へ向かって。
コンピューテーショナル・アーキテクチュア・デザイン
話はさらに本陣へと進んでいく。ここ数年でパラメトリックデザインやアルゴリズミックデザインという言葉とともに、ドバイのビル群に見るようなグニャグニャした建築ができはじめている。その設計過程にはどうやら「プログラミング」が介在しているらしい。
プログラミングというのは簡単にいうと数式のことで、数式を操ることでカタチを扱うことができる。頭の中のイメージをビジュアライズする過程においてCADソフトよりも自由にカタチを扱えるらしい。なんとなく先ほどのピンホールカメラのインスタレーションを思い出す。頭の中のイメージをよりダイレクトに出力するツールの理想の形として、ピンホールカメラがピックアップされたように思えた。
周辺環境とデザインの融合
ここで重要なのは、プログラミングがイメージをカタチにすることに優れただけの造形ツールではないということだ。先に出たパラメトリックデザインやアルゴリズミックデザインは「関係性をカタチにするデザイン」のことで、関係性を数式に置き換え、そこに様々な情報を入れていってそれを追従する様々なカタチが生成できる。グニャグニャはその結果に過ぎない。よってプログラミング技術を使うことで、最終的なカタチの実現ではなく、もっと上流にある情報の関係性を整理するところに力点を置くことができる。結果、複数の関係性においてもバランスのとれた状態でカタチを生成することができる。ある特定の人物のイメージの出力ではなく、ツールに付随する制限や個人の感性から解放されて、関係性をよりダイレクトにカタチに結びつけることが可能になるのだ。
長野での課題「みんなで力をあわせてつくるにはどうすればいいのか」はここに新たな設計手法に昇華されて帰結する。「みんなで」の部分は様々な環境情報にシフトし、それらをプログラミング技術を使って最適化していくことでそれぞれがバランスよく満たされた状態をつくりだす。レクチャーの後半ではそのような新しい設計技術をつかった実例が紹介された。「いかにして都市で自然を感じられる森をつくるか」ということを目標にして設計を進めた公園では、光、日照、風の流れ、地形などの敷地がもつ情報、樹木がどのくらいのスピードで成長するのか、いつ花をつけるのかといった情報、人の流れや建物のもつ寸法体系などの情報がデータ化され、それらをすべてコンピュータ上で最適化する。都市の状況にフィットして、なおかつうまく樹木が成長するような公園を設計された。自然の環境をデザインの理想としてでなく、対象として扱っている状況がこの設計においては可能になっている。
コンピューテーションとファブリケーション
話はさらに包括的な領域に。過去20年くらいでコンピュータによって行われたことはコンピュータライゼーション=電子化で、つまり手仕事をコンピュータがするように置き換えていく過程だったと。いまではほとんどすべての分野でコンピュータを使っていると言っても過言ではない。それらコンピュータの言語をもった分野間でいよいよ会話をするようなことが起こってくる(=コンピューテーション)という。そんな状況のなかで竹中さんは事務所を立ち上げ「電子化された情報どうしを相互に連動させ、プロセスでデザインする」ことを実行されている。「どうなっていくのかわかりませんが」と言いながらどこか楽しげである。
プログラミング技術はさらにファブリケーションへと応用されていく。机に上にあったのは今まさにつくっている最中のモデルだった。未来から来たのではない、現在の豊橋から来たのだ。構造解析のプログラムと、木を削るNCルータという機械に入れるプログラムを相互に連動させることで、構造的に成立する穴の開け方をそのまま機械に削らせることができる。構造家の仕事と工場の人の仕事をコンピュータをつかってダイレクトに接続させる。その結節点に竹中さんはいる。
竹中少年と建築の未来
話は終わりコーディネーターにマイクが戻される。満田さんのほうからまず「聞けて非常によかった」と。おそらく会場にいた人も同じような気持ちだったに違いない。非常に密度が高いレクチャーだった。建築の新しい可能性に触れられた満足感とともに、個人にフィードバックされるような高揚感があったことを最後に述べて終わりにしたい。
もうひとりのコーディネーターの山口さんから、コンピュータにのめり込んだきっかけについての質問があった。「コンピュータは小学校の頃からふれてましたけど、…なにかをつくりたいんですね、やっぱり。ライバルはファミリーコンピュータでした(笑)…、アドベンチャーゲームを作ったときには、ソフトがなかったので絵を描けるプログラムを手に入れて、それで絵を描いてゲームを作って、友達にやらせてました(笑)。」どこかいままでの話を凝縮したようエピソードで驚いた。そしてそんな経験ないなぁと遠い存在に感じながらもとても大きな期待感に飲み込まれる。子供のころに心を奪われてなにかに没頭した経験は誰にでもあると思う。いま思うと些細なことでも子供にとってはビッグイベントだったりする。そんな経験が竹中さんにとっては建築の新たな領域へと突き進む原点となっていた。そう思うと、閉塞感がいまだに払拭されない建築の世界で、それを突き破るきっかけは誰のなかにも潜んでいる。
いま思い出すと、終始楽しそうに話されていた竹中さんが、アドベンチャーゲームについて楽しそうに話す想像上の竹中少年とダブって見える。会場にあのような満足感と高揚感をもたらしてくれたのは、ジェントルマンな食パンマンでも未来を見せてくれるドラえもんでもなく、無邪気にコンピュータに向かっていた竹中少年であり、そして少年が楽しそうに指し示す、未知なる建築の未来だったのではないだろうか。