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2013 年 第6回アーキフォーラムレビュー 

島田さんと中山さん

2013 年第6回のアーキフォーラムは、ゲストが中山英之さん、コーディネーターは島田陽さんで開催された。テーマは「ちいさくておおきな家」。2人の関係をまずは見ていこう。
2人の出会いはそれよりも6 年ほど前になる。そして私はその場に居合わせている。2006 年に中山さん設計の住宅「2004」が完成し、そのオープンハウスに伺ったときだ。私は当時島田事務所の所員で、島田さんとともに現地まで足を運んだ。2人はそれ以前からメールでのやり取りがあったらしく、挨拶を交わすなり「あっ!タト!」といきなり親しげな声をあげた中山さんを覚えている。タトというのは島田陽建築設計事務所の名前「タトアーキテクツ」のことだ。「タト」とは「外(そと)」とも読める。このどちらにも読めるというコンセプトは島田さんが建築を始めたころから大切にしていた。2人はともに1972 年生まれで、島田さんは京都の、中山さんは東京の芸大出身だ。「同じような文化のシャワーを浴びてきた」とトークのなかで中山さんが言っていたが、中山さんに会う前から同じことを島田さんも言っていた。島田さんは中山さんに対してシンパシーを感じ、共感し、しかし同時に中山さんとはちがう自らの建築をせっせと積み上げていた姿を記憶している。そういう背景から2人が同じ檀上に立ち、ひとつのテーマに対してトークをするのは大変興味深かった。

様々に認識可能

トークの前半は島田さんのレクチャーだった。冒頭にも書いた「タト」の話に続いて、レシートに見える自分の名刺、見方によって見え方の変わるアート作品など「様々に認識可能な状態にすることで意味を宙づりにする」ことに対する共感を持ち出す。そしてその延長に自身の建築を置き「体験する人の意識のありようによって、建物が様々に認識される」ことを目指していると述べる。ここに仮想敵となっているものを「つよい建築」としてみよう。「つよい」とは、建築の表現と建築のありようの結びつきが「つよい」ということを意味するなら、島田さんはひたすらにそこにたどり着かないように注意深く建築をつくっていると言える。『比叡平の住居』では家型というアイコンを使いつつも、そこから感覚的に認識されるサイズをあえてずらすことで大きくも小さくも見える建築に仕立てている。『六甲の住居』や『山崎町の住居』では同じくアイコン的な家型を使いつつも、それにまったく影響されない下部をメインの空間とし、そこに勝手に置かれていく施主の持ち物を愛でるような態度をとっている。では「よわい」建築なのかというとそうではない。2015 年現在、島田陽の建築は多くの建築雑誌に取り上げられ、確固たる作家性をもった建築家として認識されている。「つよく」も「よわく」もなく、「つよい」建築に向かいつつ、常に中心から逸れていくような歯がゆい態度であるが、繰り返すごとにその軌跡を深くし、新しい建築の表現へと昇華していったように思う。
島田さんにおける「ちいさくておおきな家」とは私は「よわくてつよい家」と読み替えて現在の島田と捉え直すことができると感じた。

建築を愛している仲間

島田さんのレクチャーに続いて、中山さんのレクチャーの番になった。マイクが中山さんの手に移りひと言めが「…寒くないですか?」と会場を気遣う。とても印象的だった。会場の空気が中山さんの言動に向かって集中していた状態から一瞬でふわっとほぐれた。つづけて「アーキフォーラムは建築を心から愛している仲間が集まる場所だから、今日ははじめてしゃべる内容なんですが、最近どういうことを考えているかを仲間に聞いてほしい」と前置きがあった。「建築を愛している」となかなか言わないし、自分たちがその「仲間」と言われて私はホットな気分になった。会場もそう違いはなかったと思う。“中山さん”と“会場”という一対多の構図から、“中山さん”と“ひとりひとり”にかわり対面しているように感じた。

絵本と変奏曲

『ちいさなおうち』という絵本の話がまず出てきた。なにやら不思議な話がはじまった。アメリカの絵本作家バージニア・リー・バートンが1942 年に書いたもので、のどかな風景に建つ1軒のおうちの物語である。物語は、おうちをページの真ん中において定点観測的に周りの変化を描いてく。やがて都市化に晒され環境が悪くなっていきそのおうちだけがもとのまま取り残されてしまう。あるとき、そのお家の住人の“孫の孫のそのまた孫”が通りかかり、そのおうちが遠い記憶のなかにあるおばあちゃんちであることに気づく。都会暮らしをしていた彼はもとあった田園とそっくりな風景のなかにそのお家を移し、そこで幸せに暮らしていく、という物語である。
中山さんは、このハッピーエンドな物語の印象が、震災を経て最近変わってきたという。
それを紐解くために変奏曲の話を持ち出す。変奏曲というのは、テーマとなる小節が演奏されると次からは同じ小節を変調しながら何回も何回も繰り返して演奏する。中山さんは、「変奏曲の構成が『ちいさなおうち』の定点観測のような描き方と似ている」として話をブリッジする。『タンゴ』という変奏曲は少し変わっていて、繰り返しに終わりを告げる記号が書かれていない。つまり何度もループし終わることがない無限演奏曲なのだ。『タンゴ』は、最初はユーモラスな曲の印象であるが、繰り返すごとにその印象が変わっていき、だんだんと不気味に、そして曲は色彩を失いだし恐怖のループを感じるようになる。震災以降の心境の変化から、中山さんは『ちいさなおうち』もこの『タンゴ』のように無限に繰り返されているのではないかと不安が覚えるようになったと。はじめとそっくりな田園に移っても、またいずれ都市化で環境が悪くなってしまい、また新しい田園へ、そしてまた。そんな恐怖を覚えるようになったと言う。なにかを新しくすることが解決になっているのでなく、もしかしたら新しくすることさえ巨大な構造のほんの一部であり、自分のやっていることが繰り返される小節の一個に過ぎないのではないか、といった恐怖だ。

フラーの回答

次にバックミンスター・フラーの話が出てきた。フラーは1960 年代に書いた『宇宙船地球号操縦マニュアル』という本のなかで、マンハッタンに3km のガラスのドームをかけるプロジェクトを書いている。これを中山さんは絵本の話とブリッジするのだ。時空を超えて別の領域の別々の話がつながっていく。中山さんはまず、絵本の『ちいさなおうち』がこのドームのかかったマンハッタンにある、と仮定した。「たとえば、ドームのなかにあるお家で換気のために窓を開ける。お家のなかは空気がきれいになるが、ドームのなかに排気された空気はどうなるのか?ということは、ドームの外側の空気はどうなっているのか??というふうに、その瞬間に直径3km のドームの中と外というのをイメージすることができる。」と。フラーは普段ふれている領域の窓を開けただけで、ドームがあると地球全体に意識が届くという思考実験をここで行っている。フラーは、次の田園を探さなければならなくなる前に、そのおうちはそもそも地球という環境の中にあるということを、ドローイングひとつで意識させているのだ。そんなフラーの回答に「とても勇気づけられた」と中山さんは言った。

あっちとこっち

それでは、中山さんの回答はどのようなものなのか。中山さんのプロジェクトである雑木林に建つ別荘の話へと移る。中山さんは、最初、周辺の環境から自立した形である丸い平屋を考えていたが、施主の「ガーデニングがしたい」というひとことでガラっと変更しなくてはいけなくなった。周りの別荘のガーデニングはゴルフのネットのようなもので守っているのであるが、それだと「これはまさにこっちとあっちを分けてしまう行為だ。こんなことをしてると50年前のフラーより後退してしまうことになる」と。そこで中山さんは認識という武器をつかって距離や大きさの概念を無効にする方法をとった。

中山さんは、平面のリングを2 重にした。なかのリングがガーデニングをする庭であり、そとのリングとなかのリングのあいだが室内になる。リングを2 重にすることでなにが起こるのか。庭から見ると、窓のあっちというのは室内を含むエリアになっている。「家の中にいる友達も外にいる野生動物も同じ見え方になる。これで、あっちとこっちという分け方が効かなくなり、あっちとこっちとはいったいどっちなんだ??と混乱を来す。混乱するということは自分で決めればいいということだ。」フラーがあっちを意識の彼岸から此岸に引き戻したことを、中山さんはリングを2 重にすることで、あっちとこっちの分け方を無効にし、そこに立ち入った人が自分で決めればいいという状況を用意する。いままでは、きっと誰かがなにかを更新し、勝手に進んできたように考えられてしまう社会だったんだろうと思う。どこにいる人にとっても社会はあっちの状況だった。中山さんは、「いまここにある建築を使って、自分が住んでいるということを外側から客観的に見るという視点を、そこに住みながらどういうふうに作ることが出来るのか、というのを考え続けていきたい。」という。自分のエリア以外を意識の外へと追いやってしまう建築の構造を前に、中山さんは立ち止まる。それはもしかしたら、東京の都心から離れたところに夢の島をつくり続けていくダイナミズムと同じ構造なのかもしれない。放射能廃棄物の黒いゴミ袋で地平線をつくってしまうことと同じ構造なのかもしれない。建築を通して中山さんはそれらに異議を唱える。

先の見えない社会に対して

過去、建築家は社会の状況を体現するような、また未来へのビジョンを示すような都市や建築を提示し、またつくってきた。そこには前提として体現する社会があり、また示すべきビジョンがあった。現在はどうだろうか。地球規模では環境問題、地域紛争、人口問題などさまざまな方向で出口は見えない。日本においても地震から4年が経ったいまでもどのようにこれが収束していくのか、またいかないのかも誰にもわからない。過去建築家がしたようなアプローチで社会にコミットすることはもはやノスタルジーでしかない、のか、それすらわからない。島田さんは「建物が様々に認識される」ことを目指し、中山さんは既存の認識を変えることで「自分で選んでいい状態にする」ことを示した。2人の示す建築は、一見すると混乱するような状態をつくり出すことで、その場に立ち会う人が既存の枠組みでない、その人自身で判断する状況を用意する。正解も不正解もない、あっちもこっちも、よわいもつよいも、大きいも小さいも、これからを生きる私たちに判断が投げられている。先の見えない社会に対して、建築家が、建築家の仕事のなかでアプローチする方法のひとつが見れたように思った。